ヒカリへ

 

8から7へ

6から4へ

4・3が7へ

 


思い返してみればすきなグループの人数が増減するのは初めてではない。
なのにこんなに苦しいのは、初めて、自分が去る立場のひとを、すきだから、だ。

 


経験するたびに胸に穴が開くような気がする。そこからドロドロと熱いものが流れに流れてかさぶたが出来て少しずつそれは埋まって元通りの形に戻ろうとする。傷跡が残る。
痛いのに痛いのに時間が経つとその傷の痛さを忘れてしまうときだってある。

 

 

でも今回は治りそうにない。

 


学んだのは、
自分の痛みは自分にしかわからない。
例えば相手が頭が痛いとき、それを伝えられても自分が過去に経験した痛みのレベルでしかその痛さが想像できない。それ以上の痛みがわからない。経験したことがないから。

 

 


わたしは初めて、去る側の痛みを経験している。
もう大人なのに声を出して泣くのをやめられない。泣いて泣いて泣き叫んで泣き疲れて眠りにつく。もうこれを発表されたあの日から繰り返している。
だから、今までそれを経験してきたひとはどんなに苦しかったんだろうと何度も思った。

 

 


すばるは、
わたしがすきになったとき、今よりずっとずっと不器用だった。よく彼のご機嫌に左右された。そのせいでよく叩かれているのを見て辛かった。

 

 


MC最後のお仕事紹介でひとりだけ何もないなんてザラだったし、今思えば本当に歌うことしか出来ないひとだった。

 

 

 

それでもすばるがすきだった。
悲しいときは悲しんで落ち込むときは落ち込んで、喜ぶときは喜んで人間なら誰しもある感情の起伏を隠さない(隠せない)すばるがすきだった。何度もすばるの言葉に救われた。何度もすばるの歌に救われた。

 

 


関ジャニ∞の真ん中に立つすばるがすきだ。
真ん中で小さい体から放つ歌声がすきだ。
笑いのセンスがすきだ。
不器用なところがすきだ。
全部すきだ。

 

 


今回の第一報が出たとき、わたしは信じなかったし、もしそんなことがあったらよことひなが止めてくれると思った。
よことひな、止めてくれた。りょうちゃんもやすくんもりゅーへいもおおくらも止めてくれた。

 


でもすばるは決めた。

 

 

いつのまにかすばるは強くなってた。このひとの周りに一生メンバーがいなきゃいけないものだと思ってた。

 


いつのまにかすばるに味方が増えてた。
ヤフーニュースに対してのコメント欄とかを見ると悲しみ惜しみつつも肯定的な意見が多くて、それはeighterと呼ばれるひとが書いたものではなく、ここ最近の音楽活動ですばるを知って、すばるの音楽に惹かれた人たちの声。すばるを有名にしたのもすばるを連れてってしまうのも全部彼が愛した「音楽」と「歌」だ。

 

 


すばる。
すばるのこと恨めたら、嫌いになれたら楽なんだと思う。でもそれが出来ないんだよ。すばるのことずっとすきだ。これからもすきだ。わたしの人生でいちばん長く続いてることは関ジャニ∞のファンでいること、渋谷すばるのファンでいること。関ジャニ∞の音楽は、すばるの歌声はわたしの人生のBGMです。

 

 

もっともっと多くのひとを魅了してください。初の長居後の雑誌のインタビューですばるがスタジアムで歌ったときの想いを聞かれたときの言葉、わたしがだいすきな言葉、

「風に乗って地球上すべてに届けばいい」

風なんかに乗せず、直接届けてください。全世界にすばるの歌と名前を轟かせてください。

 


すばる、だいすきだよ。
すばる、ありがとう。
さよならまたいつか、会うまで。